夕映えのトマトスープ

インターネットの地層に埋まる化石。

心がざわざわする

なぜだか、際限なく食べ続けられるようになってしまった(習慣)。それに罪悪感を感じることもなく(吐くという安心感)。いくら食べても苦しくならないし(胃が大きくなってる)。吐ききれなくてもいいやと諦めたりもする(現実逃避)。
馬鹿だねえ。目の前の食べ物を少しだけ我慢すれば、諦めてた人生の喜びをもう一度手にすることができるっていうのに。焦って結果を求めなければ、そんなに時間のかかるものでもないのに。笑っちゃうほど単純なのに。
でも一度成功体験をした私は、それまでの私より確実に進化してる。それに、一度愛される幸福を知った私は、それまでの卑屈な自分とは違う。
と、思いたいが。何も代わり映えしないような気がどうしてもしてしまうのは一体何のせいなんですか?幼少期の成長の著しさを今になって感じる。一週間もすればまるっきり違う姿になってたよね。子どもって尊い。キラキラしてる。
14歳の頃から私の成長スピードは著しく低下したなって感じる。同じことに悩み続けてるんだけど、これって普通のこと?
筆跡もろくに変わってないし、見た目もたいして変わってないし、性格もそのまんま。対人関係も生活習慣もだいたい同じ。成長したのは考え方くらいかな。
これでいいのかな。こんなんでいいのかな。今のままでいいのかな。
私この先もずっとこのままなんだろうか。子どもほどの成長は見込めないだろうけど。大人になったら何ひとつ変われなくなるんだろうか。いやそんなことはない。ないっていうのが理想だけど…
はあ。大人ってなんだ。いつのまにか辻褄を合わせることに必死な人間になっちゃった。楽しみといえば束の間の娯楽くらい。人生そのものを楽しむってことをいつのまにかしなくなってた。発見と喜びと好奇心に満ちた毎日なんて望郷の彼方って感じがしちゃう。
でも大人が体験しうるあらゆることを体験したわけではまだないから、私はまだ子どもなんでしょうね。飲酒もできないし。二十歳になった瞬間から大人に切り替わるわけでもないのに、なぜか特別な意味を持たせたがる。無味乾燥な人生をそういうふうに装飾したがるのが私という人間なんです。
子どもでも大人でもない人間が街に溢れてる。大人になりきれない人のなんと多いこと。子どもは純粋に子どもなのに。どれだけ大人びていても子どもは子どもでいられるのに。子どもでいられなくなった人々はどっちつかずの不安や焦燥に悩まされる日々を送らなきゃならない。大抵はそんなこと意識しないけど。無意識に現実から目を背けているから。
大人になって初めてできることよりも、子どもだからこそできたことの方がはるかに価値あるものに思えてしまう。でも空しくなるから蓋をしよう。大人にしか許されない創造もあるわけだし。そのようなことに没頭すればいいじゃない。ああ空しい、むなしい。

眠くてしょうがなくなってきたからここで打ち切らなきゃならない。何か答えは出たかしら。何を考えてたのかもよくわからない。
自分の座標を明らかにしたかったんだねたぶん おやすみ