夕映えのトマトスープ

インターネットの地層に埋まる化石。

Protest against ME!

べつによくない?自分が生きやすいように生きたって。
無理して苦しむ必要なんてどっこにもないんだからさ!
「こうならなきゃいけない」「それをやらなきゃいけない」
なんて、押し付けて成長すると思いますか!
ちゃんと教育していこう。
教育ママや鬼コーチになってない?ましてや体罰虐待(=自傷行為)なんて以ての外!
自分を大事に取り扱えない人が他人を大切にできますか?
私自身にも私の全容は把握できてない。実は私という存在は、私の支配下におけるものではないんじゃないだろうか。そんな「自分」は本当に「他人」じゃないと言い切れるのだろうか。
ともかく、自分を雑に扱うことは他人を雑に扱うことと同等、自分に対する態度はそのまま他人に対する態度なのだ。
大丈夫。気づけたんだから。これからは自分を大切にしていける。それは他人を大切にすることでもある。そして、幸せにつながっていくはず。

またいい本に出逢った。

変えるべきは見た目ではなく、性格でもなく、人と接する時の心構えだった。

もっと可愛く綺麗にならなきゃ愛されないとか、もっと明るくならなきゃ釣り合わないとか、趣味や価値観までも、無理に合わせることを自分自身に強要してた。

そのままでいいと言ってくれていたのに。


見た目に執着したって意味がない。自信を持つために、人生を楽しむために、適度に気にするのはいいことだけど。どれだけ美しくなったところで全てうまくいくかと言えばそんなことはあり得ない。

性格は大前提として変えられるものではない。人それぞれの個性でしかないし、良いも悪いもありゃしない。一人一人違うんだから一人一人の生き方があるし、他人に対しても自分に対しても「こうあらねば」を押し付ける権利など誰にもない。


心構えだったんだ。単純に。

私は自分がどう思われるかばかり気にして、相手がどう感じるかを考えてなかった。

心構えを変えることは、思いやりを持つことでもある。それは人付き合い全般において役に立つに違いない。


「大切なのは、何であるかではなく、何をするかである」

この言葉の意味がやっとわかった気がする。


私は私のままでいいんだ。自分のままでいいんだ。

自分のままで「どう生きるか」それだけが大切なんだ。


思いがけず、心がすっと軽くなった。

やはり行き詰まった時には本を読むのがいい。出逢いに感謝。

あとは実践できるかだね。せっかくの気づきを頭の中で完結させないで!

成長するぞっと

足りない自己肯定感を誰かで満たそうとしたって無意味に傷付くだけ。

幸せって自分を愛せることだよ。


バイトもできるだけ入るようにしよう!いっぱい稼いで、好きなことに使おう!!

サークルも楽しもう!新しい人間関係に怯まず進んで行こ〜

今の私は誰かに愛されようと欲するのにはまだ早い。依存しちゃって上手く付き合えなくて、幸せになれないって気づいた。

まずは自分を好きになることから始める!


そう気づかせてくれたあの本との出会いに感謝!やはり行き詰まった時は他人の声に耳を傾けてみるといい刺激になるね…読書体験って他人の考え方に触れることだから。

固定観念は悪いと信じること自体、固定観念だった。

大抵の悩みって、「こうあらねばならない」という固定観念から生じているんじゃないかしら。

それは理想の自分に近づくために大いに役立つこともある。

でも死にたいほど悩んでしまった時は、取り払ってみることが大切。

固定観念から解放されたら、世界の広さ、多様さを改めて知ることになる。どんな人生も間違いじゃない。それもいいんじゃない?って、いい加減になれる。受け入れられる。

理想の人生を作り上げようと頑張っているからこそ、悩み、苦しむ。このことを認めてあげて、たまには休んでもいいんじゃない。

固定観念は悪くない。自分の成長を促してくれるもの。ただそれに縛られてばかりじゃ死んでしまう。上手に付き合っていこう。

前向きに!

気分が沈んだ時にあらゆることを手放してしまいたくなるのってなんでだろうね。せっかく築き上げてきたものをたった一瞬で壊してしまうのはあまりに勿体無い。

もっと冷静になりなさい。感情的になっちゃ見えるものも見えないよ。

冷静に、自分を客観視するんだよ。

きっと一人の時だからできることで、家族が帰ってきたらまたいつもの自分でいようと気丈に振る舞って追い込まれてしまうんだろうな。

だけど今この瞬間に冷静であろうとすることは何かにつながるはず。無駄ではない。

そうやって自分を励まして生きていこう!

みっともなくなんてないよ!

わたしを励ませるのはわたしだけだし、わたしを理解できるのはわたしだけ。いつでも味方でいられるのはわたしだけ。

これを寂しい人間だって言うなら人は皆寂しいね。だって他人に全てを理解してもらうなんて不可能だもの。受け入れてもらうことだって…きっとできない。

自分に頼って生きていくことは恥ずかしいことなんかじゃない。自分しか頼れるものがなくても寂しい人間なんかじゃない。

頑張っていこうよ!生きていこうよ。

きっと大丈夫!生きてるだけでなんとかなるって!

少しだけ口角上げて少しだけ上を向こう。

生きてくぞー!

人生なんて誰のためにあるのでもない!誰かの役に立とうだなんて傲慢だ。結局自分の幸せを欲してるにすぎないんだから。それでいい。自分の幸せは自分で作っていけばいい。

またやってしまって、

ただただ死にたい気持ちでいっぱいになる。どうして吐かなかったの?吐かなかった自分を責めてしまう。吐かないのは悪いことなのか。この罪悪感は何に対して抱いてるんだろうか。普通の感覚なら吐いた方が罪の意識を感じるはずだけど。

どうしていいかわからない。と言ってみる。本当は単純明快な答えが解ってるけど見えないふりをする。食べなければいいだけじゃん…どうして普通に食べられないの?なんで食事を楽しむことすらできなくなってるの?

私がいけないんだろうか。また生まれてきたことを責めてしまう。どうして秋は毎年こんな憂鬱を連れて来るのかな。

もうあの人にも会えない。会いたくない。死んでしまいたい…

無理矢理にあらゆることに自分を適合させようとするのがいけないのかな。じゃあありのままで、自然の流れに身を任せて日々を過ごしていけば私は死にたくなることなく生きていけるっていうんだろうか。

何を難しく考えてるの。痩せればいいそれだけなのに。

じゃあ1ヶ月前あんなに痩せた時どうして幸せを感じられなかったの?まだ足りなかったからかな。少なくとも今みたいに死にたい死にたいって言葉で脳内が埋め尽くされることはなかったよね。

自分が幸せになれそうな道を自らぶち壊してしまう。いつもいつもいつもいつも。

もういい加減にしてよ…どうしたら抜け出せますか。ああみっともない。誰にも頼ったりなどしないよ。吐けばいいんだ。吐けば乗り越えていける。吐け。吐け。吐けば私の悩みは解決されるよそんな気がするよ。

今日の予定も休んでしまいたくなる。ああ信用を失ってしまうね。頑張って出なくちゃいけない。わたしは怠け者なんでしょうか。憂鬱だなんて言い訳にすぎないんでしょうか。こうしてマイナスの言葉を連ねることがさらに暗い洞窟に私を引っ張っていってるのかな。わたしわたしなんて言って、自分のことしか考えてないクズなのかな。もっと人のために生きろよ。人の役に立って死ねよ。

死ぬことで誰かの役に立てますか。

私が死ぬことで誰かが幸せになれますか。

そんな特殊能力あるわけない?

試してみる価値はある?

苦しい。本音がどこにあるのかも見失ってしまった。

憂鬱なのは天気のせいだ。どんよりしちゃってさ。やめてよ…責任転嫁しないでよ。お前が悪いんだから自分で償えよ…

また自分を許せなくなってきた。今日一体何をしたら少しでも前を向けるかな。なんて前向きに生きようとすることすらみっともなく思えてくる。でも死ねないんだから仕方ないじゃん…!そんなに責めないでよ。死なないのってそんなにわるいこと?生きるのってそんなにいけないこと?そりゃわたしみたいなのが生きてても誰も何も得しないし誰かに嫌な思いをさせることしかできないけどさ。だからって死ぬことないんじゃないだろうか。逃げてるの?死ぬことから逃げてるの?それとも死のうとすることこそが逃げ?現実逃避?

え、どっちに行ったらいいの。死ねばいいの、生きればいいの。

頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ

わたしはまとも。わたしはまともわたしはまとも異常なんかじゃない正常である正常である。正常である。ごく普通の人間。ごく普通の人間。まだ基準内まだ基準内。

前向いて行こう!行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう行こう

頑張らなくちゃいけない

頑張らなくちゃいけない

苦しくない

楽しい

楽しい

毎日しあわせである

生きるって素晴らしい

がんばれ